三浦環
女性の活躍が制限されていた時代に
海外に出て行こうとした三浦環
結婚出産しか選択肢のない時代に
自分の力を信じ世界を広げようと
それ以外の可能性に賭けた女性
不本意な結婚と離婚、裏切りを経験し
どんなに辛くても故郷に帰ることなく
自分の力を出し切って燃え尽きた生涯
時代にも戦争にも屈することなく
力強く生きた女性が生まれた地で
世界で活躍する人材を育てること
それが私の使命なのかもしれない
親に結婚させられても、
それを隠して音楽学校に入り、
2度目の結婚で渡航を実現した。
後に夫から渡航を止められても、
夫を説得して再び海外へ。
当時の日本も変わろうとはしていたけど、
環は日本では活躍できないと判断。
国籍や性別ではなく
実力を認めてくれる海外を志向していた。
日本で待っていても機会はこない。
認めてもらうには海外に出なければならない。
そのための費用はあったかもしれないけど、 異文化に単身乗り込むのは
かなりの苦労を強いられる。
それを乗り越えてこその大偉業。
改めて、すごい人がいたものです。
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