議論より共感

ある経営者の方で、店に来た年配者の愚痴に腹立ちを覚えたという投稿があった。
その方の正義に反するので、反感を覚えた様子。

年配の方は客という立場だから、議論より共感が欲しかったんだろうと推察される。

私なら聞き流すなぁ、と思ったけど、
これは保身なのかなぁと思った。

私は意見する時、その先を考える癖がある。
これを言ったらこの人はどう反応するかな。
どう響くかな。
それを言うことでその人と自分への影響を考えるので、意見を取り下げることもしばしば。

前述の例では、客は私に意見など求めていないのだから、例え反感を覚えても、適当に聞いておく。

「どう思う?」と聞かれたら答えるけど、
大抵は聞かれない。
聞かれてもいないのに意見を言ったら、
逆上されるかもしれない。
過去にそんなことが多々あったからだ。

客船時代。お客様は団塊の世代。
元管理職でプライドが高く、頑固な年配者もいた。

上げ膳据え膳の船上でも、プライドはそのままなので、奥様は苦労されていた。

それでも外国船での生活は、日本のようにはいかないことも多く、ストレスが溜まるようで、ある日些細なことで逆上されて、公共の場で喚いていた。

とても驚いたし、
日本人の引率者として恥ずかしかった。

そんなことがトラウマになり、年配者には言っても無駄、と思うようになったのかもしれない。

年配者でも、若者に教えを請うような柔軟性のある方とは話ができるのだけど、
そんな方ばかりではない。

だから私は学校が向いているのかな。
素直な若い子たちには言えば響くから。
思春期はちょいと工夫が必要なんだけど。



★補足★
学校、とはいえ対児童生徒であり、
教員間ではありません。
私はどこに行っても何年経っても非正規なので、
いつも小さくなっています^ ^

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