違いの受容

外国人の子どもが日本人と一緒に遊んでいるのはとても素敵だなと思います。
日本の学校にも外国人の子どもが増えてきて、嬉しく思っていました。

しかし今日、外国人の子どもを持つお母さんから、学校で子どもが一緒に遊んでもらえないという話を聞きました。

「一緒に遊ぼ?」と日本語で言っても入れてくれない。仕方なく一人で運動場を走っていたと聞いて、お母さんは悲しくて泣いてしまったそうです。
私まで悲しくなりました。

日本人は外国人を見ると逃げますが、それは言葉の問題。
相手が日本語を話せれば、普通にお話しできる方がほとんどです。
でも子どもは違うようです。
言葉ではなく、外見で判断してしまう。
自分達と違うと、排除してしまう。

外見ってそんなに大切?
人間であることに変わりはないのに。
言葉というネックをなくすために、外国語活動があるのに、言葉以前のところでシャットアウトしてしまう。
こんなに悲しいことはありません。

同じでなければいけないわけはありません。
みんな違っていいんです。
いろいろな子がいて当たり前なのに、日本人はそれに慣れていないから?

昔聞いたレゲエの音楽で「リンクは黒人、ペイジーは白人。一緒に読み書きを学ぶ」という歌詞がありました。それが当たり前の世界になれば良いなという歌です。

当時海外の仕事をしていた私は、そんな世界が遠くないと考えていましたが、実際はまだまだ手の届かない世界だったのかしら。

子どもたちの意識を変える責任を担う大人の一人として、できることを考えていきたいと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000