学校の意義★
自由参観というのは
保護者の分散という効果はあれど
参観者がいると授業者も生徒も気が散る
特にわたし、英語科オーラ纏ってるから
英語科の先生たち、嫌だっただろうなぁ
事前に参観されるのわかっていたら
それなりに「魅せる」仕掛けをつくる
例えば今日、オリジナル標識を英語で作るという活動があった。
段階で行くと「展開」になるので、魅せやすい授業には加工できるはず。
でも授業者は、生徒にタブレットを開かせ、制作の時間を与えた。
教室にはタブレットの操作音のみ。
静かにやる必要、あったのかな?
令和の学生はデジタルネイティブ、とはいえ制作技術には、多少個人差がある。
だからここはグループを作って、相談しながら制作させるな、私なら。
私も生徒によく教えてもらっていたけど、そんな時、彼らははすごくいい顔をしていた。
誰かに教える時が最大の学びの機会でもあるから。
教える授業はGoogle先生やyoutube先生に任せて、学校は学び合いの場を提供していけたらいい。
それが、学校の存在意義になるのではないかな、なんて、改めて思った。
※こんな元教員の保護者がいても、
いいよね多分。
…多様性。
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