「普通」が奪うもの
今日は支援級の助勤に入り、
支援級の先生とおはなし。
学生さんが自分の好きな話をして
自分の描いた作品の話をしてくれて
私はそれを聞いているだけ。
耳と心を傾けて、ただ笑顔で。
「聴く」の、得意ですから^ ^
別室登校のお部屋にもつくけど、
どの子も本当に「普通」に会話できる。
ただし会話できる状況が限られていて
「普通」の会社勤めが心配だと。
親より長い時間を共にする先生の親心。
確かに社会は厳しいけど、
「普通」になるために
その子だけの「特別」を
失わせたくない、と思ってしまうのは
親でもないのに身勝手なのかもしれない。
「普通」でなくてもいいんじゃない?
と、「普通」であることをとっくに諦めた
私が言ってみたりして^ ^
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