困っている子

「発達障害」という言葉が、好きではありません。
「障害」っていう表現も
否定的で良くないと思います。

「困った子」ではなく、「困っている子」。
個性として多様性を認めて良いと思っています。

英語を通じて海外の文化を知ることこそ、
多様性を受け入れること。
日本だけ、日本人だけではもう生きていけないのです。

私は今、特別支援に関わっていますが、特別に支援することで、困っている子をその子にあった方法で社会に送り出すお手伝いをしています。

特別であることは、むしろ素敵なことです。

彼らは素直でまっすぐで、いつも一瞬懸命です。
昨日、放課後ディでのレッスンの後に、1人の女の子が私のためにカードを作ってくれ、女の子の優しい気持ちに感動しました。

学校は行くのが当たり前。先生は教えてくれて当たり前。親は世話してくれて当たり前。みんなと同じであることが当たり前。
当たり前にできない子がおかしい。

その「当たり前」、一度外してみませんか?
昨日も特支の子と普通学級の授業に行きました。
板書を一生懸命うつしとっていたので、板書をメモして渡したら、「僕は全部自分で書きたい」と言われました。

彼の弟には、メモ支援が有効なので、
やり方を変えようと思いました。

兄弟でも個性が違うから、それぞれに合わせて支援の仕方を変える必要がある。

日々の試行錯誤から、個性の尊重と個別対応の大切さを改めて認識しました。

一斉授業では難しいところなのですが…

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