どこまで特別⁇

今日は中学校。支援級の合同数学。
複数の先生と支援員で見守ります。

しかしその場にいないで支援室に戻る子、フラフラする子が必ずいるので、見つけ次第戻るように促します。

今日は支援室に戻る子が複数いたので、無理に戻さず、私が支援室の子を見守るようにと指示されました。

支援室で同じ課題をやっていれば問題ないのですが、最初からやらない子、Chromebookで違うことをやる子が出てきました。

最初からやらない子はいつもそうで、気に入らないと暴れるので、小学校からの申し送りで、無理にやらせなくて良いとされています。

そんな中、今日は養護の先生が支援室を見回られて、残っている生徒について聞かれたので、私が事情を説明する場面がありました。

養護の先生は支援級の生徒が皆と同じ場所ではなく支援室にいることについて苦言を仰っていました。

「皆と同じ場所が嫌で好きな場所に行くことを許したら、いつもそれが許されると思ってしまうよ」

確かにその通りです。
学校がそれを許しても、社会は許しません。 

就職したら雇用契約があり、その通りに働けなければ務まりません。

このことについては養護の先生と支援級の先生方でのお話合いがあるかと思いますので、後日聞いてみたいと思いますが、私が支援員として思ったのは、「どこまで特別扱いするか?」という線引きは簡単ではないということです。

支援級の先生方は普段生徒たちを見ていて、それぞれの子に対してどこまで要求していいのか、というラインを知っています。

その上で、支援室に戻っていいか、良くないかを判断されたのではないかと思います。

それをたまたま見回った方が「皆と同じにするべきだ」と言って、特別扱いを許さないのは、ちょっと違う気がしました。

私は特別支援について経験も学びも浅い素人ですが、支援級の先生方の生徒への眼差しを信頼しているので、今日はそんなことを思いました。

特別ではなく、特性。
同じであることの強要は、危険です。

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