学校の意義


コロナショックから、
不登校の話を聞く機会が増えました。

親世代には「学校は行くのが当たり前」過ぎて、
行かない選択肢がなかったんですが、 
令和世代は行かなくても、
学びが保証されることを知りました。

タブレット配布が急がれ、学校でも自宅でも、
学びが保証されるような工夫がされました。

学校、先生方の努力は大変なもので、それは小学校に外国語活動が入ってきた時の比ではありません。

私も現場にいて授業者だったので、英語教育大変革もあり、正にパニックでした。

2年目の今、混乱はだいぶ落ち着きましたが、履修内容大幅増幅についてはまだまだ課題山積です。
つい英語科目線で苦労を語ってしまいました。

話を不登校に戻しますと、
そう。自宅でも学べるのです。

タブレット学習は大手さんもやっていますし、NHK for Schoolや YouTubekidsを使えば無料で無害な動画を利用して学ぶことができますね。

学校が学ぶだけの場所ならば、学校で学ぶ必要がなくなれば、学校も先生もいらない。
教育費は介護に回せば高齢者福祉は安泰です。

でも、
学校は果たして学ぶだけの場所なのでしょうか。

私は違うと思います。

学校では、
自宅では得難い体験と出会いがあります。
同世代と切磋琢磨し、親以外の大人に叱咤激励され、集団行動で規律を守ることで、
社会人として必要な自律と忍耐力を身につけます。

自宅で親に世話をしてもらいながら、 
これらが身につくのでしょうか。

私は難しいと考えます。

私たちが教育費を払い、義務教育を施すのには、意義があるのです。

それは持続可能な未来の納税者を育て、
日本社会を存続させていくためです。

少子化だから教育にお金をかける必要はない。
学校に行けない子は行かなくて良い。

違います。

学校に行かなくて良いという選択肢を与えるだけではだめなのです。行けない子が行けるようにしなければいけません。

学校に行けないのが人間関係が原因なら、多忙な保護者に代わり子どもの話を聞いてあげる機関を設けるなどの工夫が必要です。

不登校のまま社会人にならないように、
立ち直るきっかけを作らなければいけません。

この国は変わらなければなりません。
さもなくば未来がありません。
シルバー民主主義に甘んじてる場合では
ありません。

参院選、行きましょう。

不登校が増えたのは、今の学校システムの歪みを浮き彫りにしたともいわれます。

偏差値主義、正解主義で、個人が尊重されず、
システムに合わない子は優秀でも評価されない。

それならホームエデュケーションや、
オルタナティブスクールで学べばよい。
必ずしも学校に行く必要はないと。
良い時代ですね。

では進学、就職を希望する場合はどうでしょう。
特支の子も不登校の子も、 
進学希望なら、内申点が必要。
要は出席日数が必要なのです。

やっぱり学校は行けるにこしたことはないのです。
行かないと税金の無駄遣いになりますし、格安で栄養満点の給食を享受できる恩恵は絶大です。

学校も自由進度学習を取り入れたりして、
学び合いや個人の学びを大切にしています。

学校は変わっていきます。
学校を諦めないでほしい。

教員、そして保護者としての、私の願いです。
以上、及ばずながら、
現場からの声を文字にしてみました。

どなたかのご参考になれば、幸いです。

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