*母への手紙*


お母さんへ
お母さん、
私を育ててくれてありがとう
生きていてくれてありがとう
私はいつも2番目で、いつも足りない感じがしてて
勉強もお手伝いも頑張って、喜んでもらおうとしていたんだ
でもやっぱり足りない感じがしてて、そのおかげで頑張る癖がついた
17の時、お母さんが出て行って
何かがぷつんと切れたんだけど
学校にも行けなくなったんだけど
何とか、大学には行けたよ
ずっと行きたかった留学もした
お母さんは、手紙をくれたね
お母さんから届いたエアメールは
今でも大事に取ってあるよ
今、私は母になったけど、まだいつも足りない気がしている
頑張っても 頑張っても、認められず 裏切られた
心の傷は 癒えることはないけど
であるならばその傷を抱きしめて
生きていこうと思う
私は私と私の家族を幸せにするために
生きていきます
お母さん
いつもありがとう
離れて暮らしているけれど
お母さんの人生が
幸多きものとなりますよう
心から 願っています。
次女 久美子より 
令和3年9月吉日


子どもの願いは親を幸せにすることだけど、
愛されたい、認められたいとも願っていて、
不安になるとそれを確かめようとします。

それは反抗、反発だったり、
不登校だったりします。

でも私は、
母にそれをする機会がありませんでした。

反発は全て父に向かってしまい、
今でも後悔しています。

父を亡くし、一人暮らしの母を年に数回訪ねる
生活の中で、ふと過去を振り返る機会を頂き、
母に手紙を書きました。

自分が親にして欲しかったことを確認することで、親として自分が子どもにしてやれることが分かる。

そんな学びになりました。
そういえば私、母が私を初めて海外に送り出した年齢。
母とは当時離れて住んでいたけど、留学先に母からの手紙が届いて驚いた。
「私にはひとりで海外に行く勇気はない。
あなたはすごい。誇りに思う。」
頑張ってきた母の元で、頑張って生きてきた私は
母にすごいと言われて、拍子抜けしてしまった。
子どもはどんな素晴らしい親も越える日が来る。
私はいつの間にか母を超えていたのだ。
母は私が海外で成長していくのを喜んでくれた。
それから私が海外の仕事を掴み取り、海外に出かけて行くのを何度も見送ることになる母は、私の仕事中に一度だけ、私の会社に電話をかけてきたことがある。
私の安否確認だった。
南アフリカで私の会社のツアーバスが崖から落ちたのをニュースで観て、新宿の本社に問い合わせた。
違うツアーに添乗していて無事だった私は、帰船後に上司からそれを聞いた。母は私の身を案じて、どんなにか不安になったことだろう。
それでも何も言わずに私を海外へ送り出し続けてくれた母には、感謝しかない。
あの時の母と私は今、同じくらいの歳なのに、私の娘が海外に旅立つのには、まだあと10年はかかるかなぁ…

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