言葉は現実に
今朝も次女の行き渋りがあり、寄り添って話を聴き、なんとか気持ちを切り替えさせることができました。
次女が登校した後で、
少し夫と話すことにしました。
最近、次女の行き渋りに嫌気がさして、
「この子は学校に行けないから、特別な学校に入れよう」と発言する夫。
正論を言うと反論されるので、事実から。
まず、今日は遠足なので、行かないと写真が残らない。学校で撮った写真は、学級掲示にも使うので、自分がいない写真があると、学級に居づらくなる。だから休まない方が良い、という話。
そして、「特別な学校」に入れるという話について。学校に行きたくない子に、親が学校以外の選択肢を与えると、学校に行かなくて良いと思ってしまう。一旦行かなくなると、なかなか戻れない。
そういう子を、私はたくさん見てきました。
最終手段として想定しておいても良いけど、本人や周りには言わないで欲しい。
口に出すと、現実になるから。
ここまで話したら、つい過去の体験を思い出して、畳み掛けてしまいました。
それは私の病気が判った時。夫の母親に、この病気になるとこんな可能性がある、これもあれもできなくなる。仕事辞めなさい。まで言われて、
私は凄く嫌だったこと。
あまりにも嫌だったので、普段は飲み込むけどさすがにやめてくださいと伝えたことを話しました。
過去の体験を今と関連づけてしまうのは、
女性の性。
とはいえ夫に姑の苦言を言うという禁じ手を使ってしまったことに、ちょっと後悔。
周りからのネガティブウェーブを交わすには、ポジティブな思考の集まる場所に行くこと。
私は身内に期待しないで、病院のカウンセラーさんや同じ病気の人のコミュニティで話をしたり聴いたりして、持ち直しました。
リアルな知人、友人も助けてくれました。
ネガティブ発言をしてきた身内にも、心配故なのだと恨まないようにしていますが、やはり根にもっていたようです。
夫、ごめん。
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